みらい21かなる - 社会福祉士 山眞弓

みらい21かなる

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成年後見法の問題

私の10年前の放送大学の修士論文を、この度自分なりの完成を目指してみた。10年ひと昔、本当にそうであった。あの時は生まれて初めて正規の論文を書いたので、章立てはしても、なかなか流れが造れなかった。それで仕方なく、書きたい内容を個別、個別に書いてゆき、それをいろいろ考えながら、パッチワークのように、繋いでいった事を覚えている。

一応繋がった時に、ちょうど修論の締め切りだったので、一応の講評を得たく、提出して、あとはもう1年で細かく検討して完成と思っていた。でも担当教官はその年に退官するので、随分ねばって自宅に電話まで入れて留年を願ったが、蛇に睨まれた蛙状態で、卒業してしまっている。

その後は、いろいろと多忙やら、原因不明の扱いに沢山出会い、ふらふらの歳月を送った。3.11以来、しっかりしなくっちゃと、ここまで辿りついている。

女性は、男性とは違って、仕事を得ても、家庭の事は自分の仕事である。子育ても、台所も、洗濯も、はたまた嫁である。自分の時間を自分の為にだけ使える女性は、本当に少ないだろう。私はこの年になって初めてそういう生活をしている。するともう認知症が心配な年齢であった。

今になって見返した成年後見制度は、とても悪法となってしまったが、希望はあると思う。

立法当時、私達はドイツ法、コモンロー諸国の法の趣旨に心を打たれていて、とても立法を願っていて会議をしていた。あれやこれや新しい試みであった。なので期待が大きく、先を急ぎ過ぎていたのかもしれない。反省をこめて、指導理念に沿って改革したく問題点を列記したい。

問題点(餝臈に国民の意思能力を奪う形式を残している制度で、意志能力の減退を3類型に分けて審判する3類型の構成である事。
(立法当時は包括的に意志能力剥奪をする後見類型の利用は例外的であろうとして、新しい補助類型のメリットが強調され、詳しく説明がなされた。私達支援側では補助類型に大きな期待よせたと記憶している。)
★成年後見法の改正の目的は、包括的な意志能力の剥奪からの脱却である。にもかかわらず、利用者の85%が行為能力を包括的に奪われた上で、代理権、取り消し権等を全面的に付与する後見類型では、制度改革の目的、ノーマライゼーションの下、「残存能力の尊重」、「自己決定権の尊重」、「支援における必要性の原則」、「能力推定の原理」と言う、新制度の指導理念の全て、ノーマライゼーションからの要請をことごとく否定し、制度改革の目的をすべて失わせしめている。これは世界の後見制度改革の骨子を外しており、旧禁治産制度と同じく包括的権利能力剥奪法としての成年後見法と化しているが、人権擁護の改革とされてこの形式を固定化せしめている。これが実態と言わざるを得ない。
(この点は国際法学会開催時に、指摘されなかったとすれば、不思議な世界会議であった。指摘されずにはいられない日本の実態、包括的に意志能力を奪う後見制度、これが利用者の85%までも適用されている。日本の成年後見制度は事実上行為能力剥奪法である。)

◆ヾ嫩蟷項から身上監護能力判定を除外しているにも拘らず、身上監護事務を主眼とする人権擁護の制度として、国民そして、各専門職団体に勘違いを誘っている。
(この制度発足時点で、すでに身上監護能力を鑑定内容から除外し、財産管理能力と特定して能力判定を行う制度として発足しているので、立法者(最高裁事務総局)は当初から財産管理中心の法制度としていたと考えざるを得ない。その上で身上監護を行う人権擁護の制度であると強調して、後見人の善管義務以上の義務規定が設けられているとの説明により、支援、利用者側双方に、身上監護に配慮するメリットが強調され、包括的に意志能力を剥奪するデメリットが隠蔽されている。)

★我が国の後見制度では、身上監護と言っても、その重要事項である医療同意については、我が国の医療制度上の、医師の指導指示の絶対性があって、一民間人たる後見人が身上監護義務を持って医療措置、その結果に訴訟等に及ぶ事は、恐らくは許容され得ず、医療同意は外されたのであろう。また居所指定の範疇には、精神科への長期強制監置も含まれるであろうから、これは現在の日本の精神医療の実態、近年の強制監置入院である医療保護入院の増加、世界中の精神病院のベッド数の5分の1を擁している特殊日本的精神医療、過大な病床数、一床あたり年間500万円の医療費が精神科病院に流れるという現状の中で、精神科病院への強制監置を含まざるを得ない身上監護の重要事項、居所指定(施設入所、強制監置)は外されざるを得なかったであろう。最高裁事務総局と精神病院協会は持ちつ持たれつであろう。統合失調症患者の不必要とも言える長期入院が日本的精神医療の経営上の要請であろうから、精神障害者の地域生活促進のための環境整備よりは入院患者の確保の優先の為に、この身上監護の重要事項は外されざるを得なかったと思われる。

このために、身上監護の重要部分には関与しない日本の成年後見制度における身上監護とは、福祉制度の目的規定にカバーされてくるサービスと、成年後見の身上監護は重複しており、実際のサービスは双方の間での住み分けとしては、成年後見制度が、潜在的能力として、訴訟を持って福祉サービス提供における人権侵害に対応できるという事であろう。そこで事実上は曖昧にならざるを得ないであろうから、身上監護の為に、意思能力を全面的に剥奪されるデメリット、すべての行為能力を失ってまで、身上監護配慮をうける事のメリットは、ゼロに近いのではないだろうか。行為能力剥奪されるデメリットは、深く大きく、利用者の人生は、成年後見人次第となる可能性がおおきい。

※後見実務としては施設入所者や入院患者に対しては、月1度内外、後見人が訪問面接を行い、小遣い管理、施設費用の支払いを行うのが通常であろう。
施設側、病院側に不正も無く長年を経過していたある家族の実際の話だが、この家族は、障害ある妹の為に兄姉が長年コツコツとお金を出し合って妹の為に蓄えていたが、兄弟も高齢に達して、長年入院している病院のワーカーに勧められる成年後見制度を利用し始めたという。
兄弟はほっと安心したのもつかの間、後見人は若い男性で、あまり話も弾まず、他の病院に通院する必要があっても手を繋いでもらって外出と言う関係にもなりにくく、しかしこの後見人に月額3万円を支払い始めて、兄弟はこのままだとこれまでの蓄えは数年で尽き果てる事に気付き、病院のワーカーに相談をしたという。すると答えは「その時は生活保護があります。」と言われたそうである。また更に費用を掛けて後見人を変更するのも、もったいなく、諦めつつ、怒りがあると言っていた。

当事者にとってこれだけの額(月額2万円以上)を支払う必要ある身上監護、財産管理であろうか。ドイツの元気な当事者が、お金もかかるし、口も出されるので、「成年後見の時も良かったが、やめてもっと良くなると思います。」と元気に大声で挨拶をしていた事が思い出される。
マスコミ、裁判所の宣伝に騙されず、大切なお金の使い道を慎重に考える事が、当事者の幸せのためではないだろうか。

 この構成にも拘らず、成年後見人への善管義務以上の義務規定を抱える事によって、あたかも権利擁護の制度であるとして、利用者側、被後見人側双方に勘違いを誘い、意思能力剥奪の手続きを簡便にしている。
(後見人は倫理規定に縛られると言っても、成年後見人は一市民なので、事実上は各専門職(民間団体)の倫理規定による縛りとなり、罰則規定は持たない義務規定としての限界がある。結局権利侵害は、刑法の罰則が具体性なペナルティであろうから、財産侵害などは新聞報道を見る通りである。(最高裁事務総局家庭局は、実態をすべて把握しているにもかかわらず、財産侵害の事態のデータは時々リークするのみで、オープンで系統的な報告をしない。)

立法当時は、私達はこの限界に気付かず、権利擁護に携わる者たちが、良いサービスをすべき事を法的に宣言するといった趣旨と理解して、好意的に評価し、胸を張って歓迎したものである。行政法でも無く、従って権利法でも、義務法でも無い、民事法内部の、成年後見法制度である。専門家の議論を待たねばなるまいと思われる。

★実際問題としては、身上監護の中身、その内容によっては、さまざま連携機関、医療、介護、福祉専門職団体、自治体、当事者団体等との連携、協力なしには遂行できないにもかかわらず、その議論はなされずに、専門職団体が、いわば精神論的に受容してきていると、当時の私自分を振り返る。今現在でも後見人の支援の公的なシステムは無く、各専門職団体の研修、財産侵害事件がリークされ報道後などに、専門職団体は決意表明等が行われている。この規定は私法の範囲を超える内容であるとの指摘はみられず、専門職の倫理観の欠如として、最高裁側のリークの度に、首を垂れるばかりである。

福祉の先進国とされて、隣国デンマーク発祥のノーマライゼーションを受け入れたスウェーデンでは、身上監護は福祉制度の基本法である社会サービス法が行い、後見的制度は意思能力剥奪は最小限におさえる方向で、県、市区町村、国レベルの支援体制のなかで財産管理のみを支援するという 。そして能力剥奪は放棄しており、準禁治産から改正された管理後見制度では、「管理後見に付される者の状況に応じて管理人を選定し、しかもその専任に際して、管理人の職務(利用者障害ある個人の行為能力を補うべき内容)を特定し、またその後管理後見に付されている者の状況の変化によってその職務内容を変更できるという非常にフレキシブルに富んだ制度」であるという。
このように、身上監護は福祉法制で行い、財産管理を行う後見には細かい規定があり、これが親子法の中に置かれている。又福祉法制の基本法、社会サービス法の決定は行政決定であり、これに対しては行政不服訴訟を起こす事ができる。日本の成年後見制度は、私法の中で身上監護を完結させようとするその基本構造において、人権侵害が見逃されてしまう構造があるのではないか。

★基本的には公法によって行われるべき領域がどうあるのか、また行政法としての社会福祉法制と市民法である(成年後見制度)の位置関係から、重層的な後見人支援システム形成などが考慮されるべきであったろうが、家族法の側からの批判、家族制度の中の嫁と同じ、後見人に過重な義務を負わせているとの指摘は、この点への危惧として受け止めるべきであったと思われる。現在の後見人による、被後見人への財産侵害はこのような成年後見法の構造的欠陥故に根絶し難いと言わざるを得ないであろう。

★後見人という一個人に過大な権利を与えている一方で、非訟手続きによる非公開の法廷、報酬も一事例ごと年に一度の裁判所の審判で決するという日本の後見制度だが、一方で市民的、普遍的な制度と宣伝されている。そして運用の実態、権利侵害の実態は情報が公開されず、リーク情報が出されるばかりである。このような閉鎖的な労働環境、後見人へのサポートは司法書士会、社会福祉士等の専門職団体の自主的活動によるのみで、公的なサポートシステムが厚労省サイドにも、法務省サイドにも無く、行政権が関与しない市民サービスと言う、構成になっている。行政の関与を求めずに私法領域で囲いこんでいるのが問題の根源ではないか。

立法当時の私は、身上監護として、医療措置、居所指定も入り得るという観測の中で、この規定は当然と考えてうけとめ、この法律の新しさであるとして、当時は議論を深めようという発想が無かった。しかしこの義務違反に対して、誰がどのような手続きで訴訟等をどう可能にし、どのようなペナルティを課されるのか、ここまでの議論が今必要となっている。この制度の福祉諸制度との位置関係、私法と公法の関係も制度上の重要な欠落点ではないだろうか。これは各国様々な習慣、文化、歴史的経過を経て構築されていると思われるけれども、この観点を明確にしないで、利用者の人権擁護は果たせないのではないだろうか。

当時私は、この制度のデメリットには思いが至らずに経過していたが、今考えれば、福祉制度と後見制度の目的、サービス内容の実態的な相違、支援のシステム、その費用負担について、福祉法制との関係性を議論するべきであろう。家族法の側からのこの制度設立時の批判、家制度の中の嫁の様な立場ではなのかといった指摘のように、成年後見人は、孤軍奮闘ケースを抱え込まざるを得ず、後見人への支援体制についても配慮するなど、現下財産侵害の多さについて、制度の構成の側から検討されねばならないであろう。このような制度では、個人的配慮として一人で事例を抱え込みがちになり、財産侵害の温床ともなりうる。
 
ぁ(篏類型の使い勝手の悪さ(当ホームページの成年後見制度の能力判定、4章∋仮函
後見制度を利用する場合、制度は3類型に分かれているので、意思能力を類型的3段階に分けて審判しなければならない。又制度利用の入り口で能力の有無を問う形なので、意志能力有りの場合は委任代理を併用しなければならない。この複雑さ故にか、残存能力を配慮しても、加齢に伴う意思能力減退がすべての人に予測される以上、最も進んだ状態の後見類型が、大部分において審判され、望まれてくるのであろう。
しかし待ち受けている後見類型とは、改正前の禁治産制度と同様、意思能力を包括的に剥奪した上で行う支援であり、残存能力はゼロ、推定される能力は無しとして支援を進める。これでは被後見人の自己決定は後見人の胸先三寸となってしまうであろう。

類型的に意志能力の程度を区別するという構成自体が、ノーマライゼーションに理念に反していると言わざるを得ない。(これは立法当時の弁護士会の指摘にもある。)
 補助類型が望ましく、これを増やしていきたいなら、この構成を改めて、制度の始まりに意思能力の有無を問題にするのではなく、生活上でできない行為、その為の生活危機をカバーできる支援のため、一元的制度になる事が望まれる。先進諸国の立法形式は知る限りそうである。一元的な制度にすると、委任代理を用意する必要が無く、意志能力剥奪が伴わないのであれば、裁判所関与なしでも状態悪化に伴って支援の範囲を増やす事で対応できると思われ、手続き上もシンプルとなる。
 さらには、健常な高齢者においてもおれおれ詐欺等の被害は多く発生しており、消費者保護、その他の苦情受付等の制度との伴走も視野に入れる事ができるので、成年後見法による意思能力の剥奪を不可欠とする支援の必要性について、慎重な事例検討がなされる事ができる。それを追求すべきであろう。

ゴ嫩蠅隆柄撚宗∋箸ぞー蠅領匹気魑瓩瓩襪箸領れが、この制度において進められてきている。
この鑑定の簡素化という観点は、行為能力を剥奪しないという前提で初めて求められるべき問題で有って、意思能力剥奪を不可避的に伴う日本の後見制度上における「鑑定の簡素化」とは、簡便な人権侵害、その最たる権利能力剥奪を簡便に行う事であり、意思能力を奪うに当たっては、医学情報は最重要なので、簡素化はできないというべきであろう。

人間は生物個体としての生命活動を営みつつ、社会文化的な対人関係の集合たる社会生活を営んでいるところから、生物学的条件を把握する事は重要であろう。その上で生活行動における逸脱度合い、その結果いかなる生活危機が生じているのかが特定され、それが継続的であるか否かについて審判されて、初めて後見活動は必要な部分において開始されなければならない、これが世界の新しい成年後見制度改革の骨子である。それを換骨奪胎している日本の成年後見制度で無いだろうか。この法形式で鑑定の簡素化、市民的利用拡大を叫んでいるのは、いわば騙しのテクニックであり、国民はこの実態を目を開けて見据える必要があろう。

ドイツ法では鑑定書が、原則、審判の前提条件となっている。意思能力を剥奪する制度と、剥奪せずに援助だけを行う制度では、鑑定の意味合いが異なるので、同じように簡素化を求める事は、重大な人権侵害を引き起こす恐れがあり、勘違いを誘っていると思われる。現に後見人による財産侵害が絶えない制度でありながら、権利剥奪を簡素な手続きで進めようと、国民に呼びかける事に疑問が生じない人権擁護活動について、専門職としては、再考、深く反省すべきではないだろうか。

幸い今現在の社会福祉士会、司法書士会は、真面目な後見活動を心がける人々の集団であり、財産侵害をするメンバーは例外的である。本当にこの事が唯一の救いである。我が国の新成年後見制度は、法律の基本構造に重大な問題をかかえており、簡単に、包括的に国民の行為能力を剥奪できるので、このシステムを廻すマンパワーの水準によっては、大きな人権剥奪システムとなる可能性が高いと、言わざるを得ない。

たった15年で、ノーマライゼーションという指導理念に対しては、制度の運用実態は間逆となっている事に、関係者は自分達の勘違いを気付かなければならないであろう。利用者の85%もの人々はすべての権利能力を奪われて財産管理をされている。21世紀の今日、このような制度を持つ国家は先進国には無いのではないだろうか。団塊の世代が後期高齢者に達する前に、行為能力剥奪を最小限にする鑑定手続きを検討し、事実上の一元的な制度として改正しなければならないと思われる。

これができない場合、団塊の世代が後期高齢者となる頃には、認知症の惧れのあるとされる人々の資産と生命が、身上監護、および財産管理を拘束する、最高裁事務総局所管の成年後見法下で、動かざるを得ないであろう。そうなると、後見人次第の老後となって、自らは、意思表示不可能な法的身分となってしまうので、逆らう事は出来ないという事態が生じる。(当事者は行為能力が剥奪され、後見人は専門職団体の利害によって拘束され得る)この制度利用によって、合法的に、権利行使ができない境遇に陥るという構成である。

成年後見制度は、人権擁護の制度として、最高裁事務総局による国民の印象付け、勘違いを誘われているが、事実としては、旧禁治産制度と同じく行為能力を包括的に剥奪すると言う、先進国の成年後見法改正の骨子を外した制度となっている事に目を見開き、自分が高齢の認知症になった場合、悪意ある後見人がやってきた場合も想定して、どのようにして、財産や命を守れるのか、ここを軸に精査しなければならないのではないだろうか。

肝心の居所指定も、医療措置も、関与できない制度であっても、身上監護をしっかりとします、権利擁護ですと言う一方で、利用者の85%について全ての行為能力が奪われている。国民は、使い勝手良く、簡素化しますとマスコミ総動員で意志能力喪失(剥奪)を誘いかけている側の人権感覚の「異常さ」に気付くべきであろう。

認知症になり、親族も高齢化する時の、意志能力剥奪手続きであれば、国民一人一人にとっては簡素化する事のできない問題である。やってくる後見人次第では、全てを失う制度である事に気付かなければならない。これを市民的レベルで使いましょうと呼びかけるのだから、国民は最後まで自分らしい生活をするどころか、すべて後見人次第となるのであり、私的自治を尊重するといいいながら後見人次第、後見人に倫理観があるか否かが、運命の分かれ目となるのではないだろうか。

また成年後見人の立場からは被後見人(認知症の高齢者達、障害ある成人達)の生殺与奪を、閉鎖的な環境でにぎらざるを得ない制度と言わざるを得ない。ここに後見人の財産侵害事件の多発(?)の構造的な原因が存在すると言わざるを得ない。

Ω絽支援信託制度について
後見支援信託制度は、2011年4月の実施を前に、司法書士会に最高裁事務総局から情報提供があったのが、2011/01/27である。この時の日弁連主催のシンポジウム(3月4日)に私は、急きょ出席しており、当時は海老蔵事件、大相撲八百長事件、社会福祉士会の後見人の財産侵害事件が重なっていたが、その1週間後には福島原発事故、震災であった。

手元にはその時の資料があるが、このシンポで印象的だったのは、マスコミの記者さんが、あまりに早急に、関連団体との根回しもなく、制度発足するという展開について、「当局と、関連団体の皆さんは不仲なのか?」などとの感想、質問があった時、会場からどっと笑いが起こったことである。

そんな質問が出るほどに唐突、急ぎこの法律は作られている。その後司法書士会は短期間、簡単にこの制度を通している。

この制度は、親族後見人の場合財産侵害が多いとして、財産侵害防止のための制度である。後見人に親族後見人が選任された場合に、さらに専門職後見人(弁護士、司法書士、社会福祉士など)を選任し、選任から数カ月後に、被後見人の財産目録を作成し、親族、専門職が協議して本人にとって「最も適切な生活プラン」を作成し、これに沿った収支予定を作成する事になっている。
そしてこの「最も適切な生活プラン」の経費以外は信託財産とするために、定期預金などは解約して信託銀行に信託させる。このプラン以上の支出が予定される場合は裁判所に「上申書」を提出して裁判所の「指示書」を頂き、これを信託銀行に提出して信託財産からの払い戻しを受ける事ができるとする制度である。専門職後見人は生活プランを完成した段階で辞めて、以後は後見人が事務を遂行する。

制度が提案された当時は、各団体は様々に反対意見を述べたが、翌月4月に実施された。私もこの制度への質問書をぱあとなあのメーーリング・ストに載せている。(新成年後見制度のゆくえhttp://mirai21canal.com/futureNewAdultGuardianShip.html、当ブログ2014.02.14、2014.04.15,2012.03.15参照,)

★1.この法律は、その起案、関係団体への聴取等が無く実施されているが、立法手続きにおいて、三権分立の原則はどうなのか、最高裁事務総局が行政府との協議なしに、国会での議論もなく実施しているのではないだろうか。手続き的に問題があると思われる。

★2.この法律の目的である、高齢化社会を迎えて、障害ある人々の残存能力を尊重して、自己決定を尊重する事ができない構成ではないだろうか。障害があってもその人らしい生活を住み慣れた地域で暮らす為の制度であった筈の成年後見制度だが、これでは一定額以上の金子は、信託銀行に所有権を移転して(信託とは所有権は銀行サイドに移る)裁判所の許可なくしては通常経費以外を使えない。(85%が後見類型として審判されている日本の成年後見制度なので、利用者の能力には幅があるので、使用希望はあり得る。)
また「最も適切な生活プラン」を考えるのが専門職、家族であって本人ではないので、本人は家族と専門職の描く「最も適切な生活プラン」を強いられるのではないだろうか。自己決定権、残存能力の尊重とは眞逆である。

★3.高齢者が営々と蓄えた預貯金をすべて解約して信託銀行に信託して凍結、必要額以上は老後の為に使えない。こうしてTPP後のM&Aによって外資に買収された信託銀行の安定的な資金となる事が予想される。又死亡後はそのようにして残された遺産は、相続税法改悪によって、相続税として国庫に没収されて、戦争へと傾く政策の為の税収となろうか。
この制度は高齢者の老後の幸せに大きく反している。自分の蓄えたお金は、認知症となっても、その人それぞれの楽しみの為に使えない社会となるのではないだろうか。

★4.デフレ懸念の経済政策のなかで、日本人の預金額の75%を占める高齢者が、消費を凍結、一定額以上は使えない制度では、通貨の市場流動性はますます減少し、デフレは進行するであろうから、経済政策との整合性も採れていないと考えざるを得ない。この制度はどのような議論を経て成立しているのか、不明である。

★5.信託銀行以外の金融機関にとっても、営業努力を重ねて獲得した預貯金を国策として有無を言わさずに解約されて、信託銀行に移されるという事は、健全な市場経済の活動に竿を指す政策ではないだろうか。

成年後見制度は、制度利用者の85%が後見類型となっており、事実上包括的に意志能力を剥奪する制度となってしまっている。そこで今の制度を改めて、一元的制度にした上で、必要性の原理(最低必要限度の最後の手段)を守る事が必要であろう。幸い日本の民法は様々な現代的な改正を重ねており、消費者保護制度、その他の日本的民法秩序において、多くの高齢者は意志能力を剥奪される後見制度を利用せずにも、社会福祉協議会の権利擁護事業の利用も選択肢であろう。

最後に:団塊の世代が後期高齢者に達する前に、改革が必要である。
今利用者の85%は後見類型、意思能力を包括的に剥奪される所に居るのが、日本国民である。超高齢化社会となって、多くの私達団塊の世代が後期高齢者、意志能力の減退に直面する時に、良い制度だからみんなで使いましょう、人権擁護を使いましょうと言って誘われて、意志無能力者として最後の人生を歩む事になる。そうなると国民資産75%を所有する人々の財産管理がこの法律により凍結と言う名の外資信託銀行の安定的な投資資金となるのだろうか。本人は行為能力なし、後見人次第となった時、この後見人次第で、どうでも動かせる金融資産の額はハンパではない。身上監護の制度と言っても、重要事項は除外しているので、身上監護は事実上機能できない構成である。
後見人の使いこみがあるというマスコミの報道も不透明である。定期的にオープンな情報開示が必要な領域であると思われる。そして、冷静に考えなければならないのは、最高裁事務総局側が情報をリークすると、なるほどそうかと納得できる程に、その利用者は生殺与奪を後見人次第で握られてしまいかねない制度であることである。
このリークによって、立法者最高裁事務総局は、この制度は、悪意ある人を後見人にされたならば、財産侵害が起こり得る法律である事を、はからずも教えているとも思われる。

たとえば危ないと気付いても、目の前で奪われても、自分自身は法律行為はできない無能力者である。後見人による財産侵害が絶えないのはこの法律の構造上の欠陥と言わざるを得ず、家族法からの批判は至極もっともであったと思われる。

そこで、おれおれ詐欺の被害者は正常な方々においても多く起こっている現状にかんがみて、意思能力を剥奪するという、手続き規定によっては合法的な人権侵害の惧れの多い「意志能力剥奪」について、保護の必要性との兼ね合いを、慎重に検討して再構成すべきではないだろうか。-
利用者の自己決定、残存能力を尊重するならば、今の最高裁事務総局所管の制度から、厚生省の関与する制度へと改革して、後見人の任務をサポートする行政サイドのシステムが求められる。これなくしては、日本の高齢者、我々団塊の世代の明日は暗いと言わざるを得ない。自己決定を本当に尊重する、必要最低限度の能力制限にする支援が制度改革の趣旨であった。成年後見支援信託などは真逆である。最高裁事務総局に距離を置く政権になる、後見制度の抜本改革が必要であろうと考えざるを得ない。

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かなる(canal)は「運河」と言う意味です。以前の目黒川に面した6階の事務所から眺めると、目黒川がちょうど足下を流れているように見えて、まるで運河の上にいるようでした。それでベニスのグランカナールのイメージと重ねて、私達の事務所がいろいろな情報や物資を運び込むよう、21世紀の運河になるようにと名付けたものです。